第2回
さてさて、やっとインターネットに接続できる環境が手に入ったのですが、
何せ接続料金が高い! (昔は常時接続じゃ無かったんだよ!)
貧乏人の私達には頻繁に接続するってのも、予算的に無理。
まず、一番の問題は接続する度に毎回札幌から東京のプロバイダーの
接続ポイントに電話をかけて繋ぐのは電話料金がかかり過ぎるって事。
札幌市内で接続出来れば、市内通話料金になるから、まずはそこから...
と誰しもが思うものですが、札幌には接続ポイントが無かったんです。
しょうが無いので、天下のNEC様の札幌支店に電話をして、「インターネットに
接続したいんですが...」っと言ったところ、
「何ですかそれは?」
...は? 電話に出た方はインターネットを知らないとおっしゃる。
1994~5年ぐらいは、まだそんな感じだったんです。
そこで、インターネットの事を説明して(..と言うか、こっちは接続先の
番号を聞きたかっただけなんだけど..)接続できるようにしてほしいと
お願いしました。
で、先方の答えは「そう言えば、東京本社にネットワーク関係の新しい部署が
出来たはずだから、そっちで聞いて下さい。番号は〇〇〇〇〇〇です。ガチャ!」
なにやら、どこのマニアか知らんけど...と相手にされていない感じで、
あまり期待せずに、教えられた番号に電話をしてみる事に。
そしたらば...驚いた事に、非常に良い対応をしえくれましたて...
出来たばっかりの部署で、ヒマだったのか何なのか、「明日、飛行機に乗って
札幌に行きます!」、との事。
・・・・・え~~~ びっくり!
いや、その、インターネットに繋ぎたいだけなんだけど....
そんな訳で、急遽、NECさんをお迎えする準備をしなくては..
もちろん、こちらは会社設立前の話しですから、何も無く、自宅から
折りたたみ式のキャンプテーブルと、アウトドア用の折りたたみのイス
を4脚用意したのが精いっぱい。
わざわざ飛行機に乗って、札幌まで出張してい来るという相手の
真意もわからずに、とりあえず来てもらう事になりました。
—
翌日午後、NECさんが来訪されて、驚愕すべきことを仰る!!!
「これからインターネットの需要は、もの凄く伸びます。
だから、接続先のポイントもたくさん必要になります。
ただ、NECとしては札幌支店でプロバイダーサービスをする予定はまだありません。
(BigLobeのサービスが始まる前なので)
うちが協力するので、是非とも札幌でプロバイダー事業をやってくれませんか!?
もう、契約書も用意してきました...」
へ?
「え~~~!!!!!」
斯くして、ただインターネットに安く繋ぎたいだけだったはずの私達は、
当初のパソコン通信を使って通信販売事業をやるっていう目的を
忘れ、プロバイダーを立ち上げる事に...天下のNECさんの協力で。
まだ、会社も出来て無いのに。
さて、NECが言うんだから、きっとやれるだろうと思い、プロバイダー
立ち上げに向けて準備する事になるのですが。
まず、最初にぶち当たったのが、費用をどうするか?
プロバイダーをやる為は、
サーバー4台
DNSサーバー これは、ドメイン名とIPアドレスを紐づけるシステム
WWWサーバー これは皆知ってるホームページを運営するやつ
MAILサーバー これも、メールをやり取りする為のやつ
NEWSサーバー これを知ってるのは、古い人
昔は、www以外にTextベースで、ユーザーが投稿した情報を流したり..
投稿された記事をストックする為のシステムとして、NEWSというサービスがあったんです。
@300万~500万×4台
エンドユーザーの接続を処理(電話をかけてきた相手を受付)する機械
@300万~700万
ルーター(DNSに従って、インターネット上のアドレスをみて行先を振り分ける)
@100万~
ターミナルアダプター 大元の電話回線とネットワークを繋ぐ機械
@200万~
モデム(エンドユーザー側回線の受付する)×10~30台
@3万×30台
———————–
だいたい2000~3000万ぐらい
いろいろ頑張って、安くあげても1500万円は必要!
絶対 無理でしょ!!
..と思ったのですが、これが何と言いましょうか...
出来ちゃったのです。
あまり詳しい事は言えないのですが、大企業のご威光は凄いとだけ言っておきます。
もちろん、お金を用意してくれた訳けじゃなくて、リースを組んだんです。
当時、簡単にリースなんて組めなかったんです。
出来たばっかり会社は!
実際、銀行から融資が受けられるようになったのだって、
会社が出来てから1年以上たってからですから。
ましてやインターネットなんて、誰~も知らなくて、何それ?
って感じでしたから。
次に、UNIX!
サーバー類を動作させるにはOSはWindwosでもMacOSでも無く、UNIXというOS
これが、分かる専門的な知識を持っている人は、(今じゃ普通ですが)殆どいなくて、もちろん私も全然わかりませんし、札幌中のエンジニアを集めても、ちゃんと理解して設定できる人は100人も居なかったと思います。
だが、しかし何故か私の良く行く喫茶店の常連さんに、それが出来る人が居て、その人を口説いて勤めてる会社から引き抜き、うちでネットワーク管理者となってくれるよう説得する事に成功!
正直 全部英語だし、何だかよくわからん!
ともあれ、これで何とか1995年10月に北海道で初の商用プロバイダーとして
営業を始める事が出来ました。
そりゃぁもう、大人気になると思うでしょ?
ぜ~んぜん!
誰もインターネットの事を知らないんだもん。
えっらい苦労しました。
お金が無いので、<インターネットとは>なんぞや?
というチラシ(と言っても、ほとんどテキストベースの)を作って、
自分たちで、折りたたんで、1件1件ポスティング!
どうも、会社に引いた電話番号が蕎麦屋と似てたらしく、
会員からの問い合わせかと思いきや、蕎麦屋からの間違い電話がよくかっかてきてました。
そのぐらいヒマでした。
首都圏では、相当盛り上がってたらしく、みんな凄い勢いで
成長してたみたいですが、北海道じゃ何と言うか、みんな保守的と言うか
マニアの趣味みたいに思われてたと言うか、まるでインターネットの事は浸透してなくて...このままじゃすぐに倒産しちゃうと思いました。
そこで、ある事務用機器(コピー機ですね)を販売している会社に
知り合いがいたので、頼み込んで、新製品フェア(よくホテルとかの会場で開催してるやつ)に出店させてもらい、その場でインターネットセミナーをやって、
「インターネットとは云々・・・・・
これからの会社に必要な三種の神器はコピー・FAX・インターネット!」
っていうキャッチフレーズで、コピーFAX/パソコン販売と共に、
インターネット接続の会員登録をセットで売りまくりました。
この頃は、月額1万円+3分10円の接続料金を徴収してましたので、
会員が100名を超えたころから、何となく収支がプラスになりそうな感じがしてきました。
そして、ある日、コンピューター業界の超大手企業に勤めてるユーザーさん(この人は個人で会員になってくれてました)が、とても大きなビジネスの話しを持ってきてくれました。
ある大学で、パソコン250台のネットワークを組むので、インターネットにも接続できうるようにセットアップして下さいとの事。
「なに~~~!!!」
いや~ホント、プロバイダー事業に夢を見てたのに、全然人気が出なくて一時はほんとにこの先、どうなる事やらと思ってたのですが、某大学の仕事のおかげで、ネットワークサービスはこれから大きなビジネスになると気づかされました。
そこから、とっても短い快進撃の期間が始まります。
また長くなっちゃたので、続きは次回に!
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